「健康情報収集・利用に際しての倫理問題に関する日本疫学会会員の意識調査」
稲葉 裕、黒沢美智子、菊地正悟(順天堂大学・医・衛生)、中村健一、新野直明(昭和大学・医・衛生)、中村好一、尾島俊之(自治医科大学・医・公衆衛生)
【要旨】
「目的」地域や職域での疫学研究の増加に伴い、予防医学領域における個人のプライバシーに関する情報の収集、保管、利用、公表に際して倫理的問題の関心が高まりつつある。そこで、健康情報を提供する人々とそれを利用する人々の意識を系統的に調査分析し、健康情報収集・利用に際しての倫理ガイドラインを検討していくために疫学研究者を対象とした意識調査を行った。
「方法」1996年7月に疫学会理事会の協力を得て、疫学会会員(1,010名)を対象にA4版4頁からなる自記式質問票を送付した。質問内容は疫学研究を実施する際のインフォームドコンセントに関する質問の他、計35項目からなる。
「結果」1996年9月30日までに、413例の回答があった(回収率40.9%)。回答率は男の回答率の方がやや高いが差はなかった。年齢は高い方が回答率も高かった。
内容に関しては「一般的な生活習慣に関する質問票を配布・回収してcohort研究を行う場合のインフォームドコンセントについて」の質問に対して、回答は「調査票に依頼文を書き、本人の氏名を記入してもらうことでよい。」が最も多かった。同様にcase-controlの対象者、対照者、randomised controlled trialにより禁煙教育の効果を研究する場合も同様であった。健診時に血液を余分にとって調査を行う場合のインフォームドコンセントについて、エイズ、ワッセルマン、DNA、特別な研究目的の肝機能検査を行う場合は「各人に検査内容を示して同意を得る。」が最も多く、通常の肝機能検査に関しては「各人に概要を説明して同意を得る。」が最も多かった。この傾向は残余血清を使用する場合も同様であった。
「疫学研究を行う際に倫理的な問題がおきるとしたら」という質問に対しては「個人情報の漏洩」「インフォームドコンセント」「対象者への分析結果還元の方法」が多かった。また、「日本疫学会の中に倫理委員会のような機関が必要」、「同じく疫学研究に際しての倫理に関するガイドラインが必要」、「J.E.の投稿規定に倫理に関する規定が必要」と回答している率が高かった。
質問票の中に設けた自由記載欄からは様々な角度から示唆に富む意見が多数得られた。
キーワード 疫学研究、倫理問題、
インフォームドコンセント、
個人情報、質問票調査
Ⅰ 緒言
地域や職域における健康管理の普及とそのフィールドを利用した疫学研究の増加に伴い、予防医学領域における個人のプライバシーに関する情報の収集、保管、利用、公表などに際しての倫理的問題についての関心が高まりつつある。そこで、より実際的な視点から健康情報を提供する人々とそれを利用する人々の意識を系統的に調査分析することにより健康情報収集・利用に際しての倫理ガイドラインを検討していくために疫学研究者を対象とした意識調査を行った。
Ⅱ 研究方法
1996年7月に疫学会理事会の協力を得て、疫学会会員(1,010名)を対象にA4版4頁からなる自記式質問票を送付した。質問内容は疫学研究を実施する際のインフォームドコンセント(以下IC)に関する質問の他、計35項目からなっている。
Ⅲ 研究結果
1996年9月30日までに、413例の回答があった。回収率は40.9%であった。以下得られた回答は総計と性・年齢別に示し、自由意見も表にまとめた。
回答者の特性
表1に1996年8月現在の疫学会会員の性年齢分布を示す。8月に会費滞納者の退会手続きが行われたため、表に示した会員数は質問票送付数より少なくなっている。 表2に回答者の性年齢分布と表1を母数とした回答率を示す。回答率は男の回答率の方がやや高いが差はなかった。年齢は高い方が回答率も高かった。
回答者の職種は医師が72%(表3)、所属は大学が55%(表4)であった。疫学研究の経験は5-10年未満、10-20年未満が供に27%、1-5年未満が20%、20年以上が18%であった(表5)。表3-5は性・年齢に差が見られた。研究デザイン別の経験(表6)は断面研究が最も多く、case-control研究、cohort研究と続いていた。研究材料は質問票、医療記録、血液の順に多かった(表7)。
回答に関して
1.「一般的な生活習慣に関する質問票を配布・回収してcohort研究を行う場合のICについて」の質問に対する回答を表8に示す。回答は4肢択一で、最も多かったのが「調査票に依頼文を書き、本人の氏名を記入してもらうことでよい。」という回答で62.3%であった。次に多かったのが「対象集団の責任者又は地区代表者の同意を得ることでよい。」で21.1%、「いずれでもない、またはわからない。」が11.7%、「必要ない」が5.0%であった。表9に表8の質問に対する意見内容をまとめた。意見は70件以上に上った。同意についての意見が25件と最も多く、「調査票に趣旨を書き、回答したことで同意があったと見なす」という意見と、調査票とは別に「同意書が必要である」とする意見が多く見られた。その他に依頼文の内容についての意見、結果還元についての意見も多数見られたが、調査の対象や個人情報の種類で異なるので一概に答えられないとの意見もあった。
同様の調査をcase-controlで行う場合にcaseとなる対象者にICを行う場合」も同様で「調査票に依頼文を書き、本人の氏名を記入してもらうことでよい。」が70.3%、次が「いずれでもない、またはわからない。」で13.9%、「対象集団の責任者又は地区代表者の同意を得ることでよい。」が10.7%、「必要ない」が5.0%であった(表10)。表10に対する意見は83件あり、同意についてが28件、依頼文については16件が多く、コホート研究と異なる点は「告知」についての意見があったことである。また、研究内容を理解することによるバイアスを気にする意見もあった(表11)。
同じくcase-control研究で「controlにICを行う場合」は67.3%が「調査票に依頼文を書き、本人の氏名を記入してもらうことでよい。」で、13.7%が「対象集団の責任者又は地区代表者の同意を得ることでよい。」であった(表12)。意見は73件ありケースコントロール研究の場合、コントロールとなる協力者に調査の説明とコントロールの役割を理解してもらうことの困難を述べている人が多く見られた。
上記3つの質問はいずれも「調査票に依頼文を書き、本人の氏名を記入してもらうことでよい。」の回答が多く、ケースコントロールのケース、コントロール、コホートの対象者の順で選択率は高かった。「対象集団の責任者又は地区代表者の同意を得ることでよい。」はコホート調査では20%を越えていた。
「randomised controlled trialにより禁煙教育の効果を研究する場合」も同様で「研究デザインについて、対象者個人に説明し承諾の署名をもらう必要がある。」が61.5%と最も多く、ついで「対象集団の責任者又は地区代表者の同意を得ることでよい。」の18.7%であった(表10)。これに付随する意見を表15に示す。説明を受けることでバイアスが生じるという意見が多く、禁煙教育の介入の場合、問題になることはないと思われるが介入によるリスクについての説明が必須であるという意見、RCTを理解してもらうのが難しい、という意見もあった。
2.「健診時に血液を余分にとって調査を行う場合のIC」については特別な研究目的の肝機能検査、エイズ、ワッセルマン、DNA、を行う場合は「各人に検査内容を示して同意を得る。」が最も多く58.2%~76.6%(表16,17,18,19)、通常の肝機能検査に関しては「各人に概要を説明して同意を得る。」が最も多く、40.9%であった(表19)。
この傾向は残余血清を使用する場合も同様で「各人に検査内容を示して同意を得る。」が特別な研究目的の肝機能検査、エイズ、ワッセルマン、DNAで46.8%~66.2%であった(表21,22,23,24)。通常の肝機能検査に関しては「各人に概要を説明して同意を得る。」が39.0%であった。
血液を余分にとる場合と残余血液を使用する場合で大きな差は見られずなかったが検査内容で多少選択率が異なっていた。また、僅かに血液を余分に取る場合の方が「各人に検査内容を示して同意を得る。」を選択する割合が高かった。
上記の質問に対する意見も多数得られており、結果還元の希望も含め、還元方法について予め同意を得ておくという意見や、個人を同定するかどうかで選択肢が変わる場合もあることが伺えた。
3.「疫学研究を行う際に倫理的な問題がおきるとしたら」という質問に対しては「個人情報の漏洩」84.5%、「インフォームドコンセント」74.1%、「対象者への分析結果還元の方法」58.4%が多かった(表27)。
その他、介入研究を行った際のside effectsという意見もあった。
4.また、「International Guideline for Ethical Review of Epidemiological Studies,CIOMS Geneva 1991;和訳-疫学研究の倫理審査のための国際的指針:臨床評価.20(3)1992.」を知っているのは77.4%(表28)であった。
「日本疫学会の中に倫理委員会のような機関が必要」とするのは77.9%(表29)で、表30に意見を示す。
「疫学研究に際しての倫理に関するガイドラインが必要」とするのは87.8%(表31)、表32に意見を示す。「J.E.の投稿規定に倫理に関する規定が必要」が72.8%であった(表33)。意見は表34に示す。
5.質問票の中に設けた自由記載欄には約200名の回答者からコメントがあり(表35)、今回の調査には関心の高い人が回答したと思われる。様々な角度から示唆に富む意見が多数得られているのでそのほとんどを表に示した。
【考察】
インフォームドコンセントについては回答者のほとんどが得ることを前提としていながら、①対象者から承諾を得る方法や手続き、②何をもって「インフォームドコンセントが得られた」とするか、という点で様々な意見や考えがあるということが今回の調査で確認できた。また技術的な面で、介入研究の場合詳細な説明によって生ずるバイアスの懸念も存在する。そして研究者だけでは解決できない現在の日本社会に特有の問題として、病名告知されていない調査対象者からどのようにICをとるのかという問題も依然存在している。
今後生じてくる問題としては長期に凍結保存される血清についてのICとその結果の還元方法等が指摘されている。DNAの扱いなどについては未だ具体的な問題がはっきりと見えていないが、今後重要な問題を提起するだろうと考えられる。
今回の調査で予想以上に回答者の問題意識が高かったのは調査の結果還元についてであった。結果還元はすべきと多くの回答者が答えているが、結果還元の方法は調査の内容によって配慮すべき点も多いことが伺える。また、長期凍結血清の測定結果還元方法には現在のところコンセンサスはない。今後はICに結果還元方法も含めていくという方向が妥当であるように思う。
日本疫学会の中に倫理委員会のような機関が必要ということには多くの回答者が同意していたが、委員会の位置づけや構成、権限、効力、運営等に様々な意見があった。
その他、自由記載欄には200件を越える意見が記入されており本調査には「疫学研究における倫理問題」に関心の高い人が回答したと推察される。それらの意見の中には示唆に富む指摘が随所に見られたので、今回はまとめることはせず、そのほとんどを列挙した。今後倫理ガイドラインを検討するに当たってこれらの結果を参考にしていきたい。
【謝辞】
本研究は日本疫学会理事会の協力を得て行った。ご協力いただいた日本疫学会事務局および日本疫学会会員各位に深謝致します。